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フットプリンツ番外
最近読んで良かったウエインショーター伝に書いてあったが「現在の音楽の世界ではもはやアーティストの個性などどうでもよかった」と。また、ザヴィヌルのことを書いた本にも、1980年以降アーティストの力でどうこうする時代は終わり、もはや音楽とは会社のイメージ戦略の道具に過ぎなくなったと。CDならCDを売るためにあるイメージを作るそのシナリオの道具としてアーティストなるものが使われているという状態。我々ミュージシャンからすればとても残念なことだが、実際現実はそのとうりになっている。先端まで行っている人だからこそ肌で感じるはずだ。実際優れたミュージシャン程権力の道具にされてきた歴史がある。ビートルズやマイルスの音楽が反体制の若者を取り込み、大量の購買層を取り込むための戦略の道具にされているとは、本人達にどこまで自覚があったのだろうか?結局は支配層のコントロール戦略の道具にされるというおなじみのパターンにより拍車がかかっているという状況だ。60年代ぐらいまではアートとビジネスの葛藤という対立構造だったのが、ソ連が崩壊し二極対立が無くなった90年代には権力にすっかり取り込まれていると言った様相を呈している。実際はベートーベンや、ワーグナーの時代からということはもっとずっと以前からこのような歴史を繰り返して来たのだと思う。ただ感じることは、以前は良い意味でも悪い意味でも余裕があったように思う。ミュージシャン達のあり方、その活動の場ライブハウスの状況とか、お客さんの遊び方等、要するに社会の状況だ。私が音楽の世界から離れて13年。戻ってみたらずいぶんと状況が変わったものだ。まず感じたのは、全体に余裕が無いということ。今の日本、どこの分野にも当てはまると思うが、やる人は増えたがやる場所が無いこと。傲慢と思われてもあえて言わせてもらえばみな適当にうまくなったがその分特長も無くなったこと。画一化というやつだ。技術は細分化されて緻密にはなっているが、どかんと新しいものが出てこないからよく聴くと誰かのそっくりさんだったりするので、一瞬スゴいなと思ってもすぐ底が見えてしまう。さらに同じように上手い人がたくさんいるので、あとはルックスだとかまだ十代だとかいう話題でしかひっぱれない。人の内面に響いて感動が人を元気にしたりすると考えられて来た音楽が、ある時から行き詰まり、ますます表面的に物的になっていると言える。(かつてはジャズも、そして私の物心ついた時にはロックが物質文明とそれを操る権力への反抗と考えられていた時代はとっくに終わり、ロックも若者をコントロールする権力の道具となる)音楽業界自体が硬直化してのぞみがもてないなら、新しいムーブメントが必要に迫られていると思う。ショーターも本で言っていたが、やっぱり人間がまずいて次に音楽があるって、理屈じゃわかっていても本当にそうなんだと実感する。良い意味で海千山千の人間からそういう音が出てくるし、管理されたサラリーマンのような人からもまたそういう音が出てくる。そうなるとショーターのような人はアメリカでももう出てこないだろうと思う。ジャズ自体がほとんど無くなったというアメリカの社会もまた変わっているからだ。この金や物を中心とした世界がますます行き詰まって持つ者と持たざる者の差がますます二極化する現代、本当に面白いこと、夢があることを見つけるのはむずかしいように見えるが、そこをなんとかしなくっちゃいけないんだよな。
フットプリンツ
子供の頃の話をしてみようで高校生まで来てしまったので、ここらでタイトル変えます。最近ウエイン・ショーターの評伝というのを読んでとても良かったのでそのタイトルにちなんでフットプリンツとしてみました。
さて、高校に入るやいなや、中三ぐらいから始まっていた無気力状態がますます激しくなり。また、ますますロックからジャズへと聴きあさっていく。中三の時読んだヘルマンヘッセのデミアンに影響され、何か自分達には知らされていない裏の世界、暗い世界が表裏一体となって存在し、それを気づかない人には何を言ってもわからないようなそんな世界に惹かれる。何なんでしょうね?今思えばそれも青年期特有の反抗心、暗い何かにはまっていっただけのようにも感じるが、かといっていわゆる表面的な社会の倫理というか通念みたいなものが正しいわけでもなんでもなく、また先行きに希望を持たせるものでもないと感じたことは決して間違っていたわけではなかったと思う。ただ毎日学校に行って与えられた勉強をこなして、友達と遊んだりテレビの話したりしている生活とロックやジャズの中で人が泣いたり叫んだりする様とのギャップはそうとうかけ離れている。生きていて何かそぐわない、気持ち悪い、あるいは悲しい、苦しいとどこか感じるから、そういうことを表現している音楽に惹かれるわけだ。感じない人は感じない。感じてしまった人間ははまっていくよりない。音楽で自分は救われたし、同時に囚われの身にもなったわけだ。決してマイナスにいうつもりでもなんでもなく、音楽に魅せられる人ってそうなんだと思う。同じように絵画とか文学等の芸術に魅入られる人ってきっとそうではないかな。
子供の頃の話をしてみよう5
高校に行くようになって思い出すのが1970年の大阪万博でのセルジオメンデスとブラジル’66のステージである。当時はすでに相当音楽のとりこになっていたので、万博のパビリオンめぐり等にはまったく興味がなく、ただセルメンが見れるということでわくわくしていた。ポップなバンドの生を見るのは初めての経験だ。ただ当時の第一印象としては彼らはレコードの方がうまくて良いと感じてしまったことだ。私は音楽はレコードから入ってなれ親しんでしまって、生の良さがしばらくわからなかった。歌が思ったよりうまくないなーとか音のバランスが良くないとかが気になったことを覚えている。そういう面が例えあってもライブの良さってあると思うがまだそういうことがわからなかったのだ。それからしばらくして、ロックそしてほんのちょっとジャズへと移っていく。ツェッぺリンやクリームでギターにしびれまくっていたのになぜギターをやらなかったのかと思うが、引っ込み思案の性格ややる気の無いかったるい状態だったのだからだろうか?ドアーズというグループに惹かれた。他のバンドとちょっと違ったコンセプトだった。まずギターが前面的に活躍しない。オルガンのルイスマンザレックという人がなかなかの才人のようで、ジャズのテイストが混ざっている。そしてカリスマ的なヴォーカリストのジムモリソンがどこか品があるようで、しかもロックシンガーにありがちなばか高い声でなく自分でも歌えるようなレンジの声なのだ。そしてジャズ!中三のとき深夜放送でナベサダとジャズという番組があったが、サックスのアドリブの良さというのがさっぱりわからなくて、たいくつですぐ寝てしまったか他の局に変えてしまったくらいなので、はじめはどこが面白いのか思っていたが、クラスメイトからもらったロックのレコードの中にWellow Weep For Me というWes Montogomeryのレコードがあった。ロックとは違った冷めたというかクールなサウンドと4ビートのリズムがかっこいいなあとはじめて感じた。あまりよくわかる、ピンとくるというのではないのにその雰囲気、空気感に魅了されてしまったんでしょうね。
子供の頃の話をしてみよう4
映画音楽からポップスの面白さに目覚めた私は、小遣いをすべてドーナツ版につぎ込むようになる。ビートルズのHello Goodbye,Your Mother Should Knowにしびれたのもこの頃か。小六の頃スキーに行ってその時どこかでかかっていたシーカーズのジョージガールなんかも思い出深い曲だ。最初は洋物ばかりだったのだが、当時はグループサウンズ大盛況の頃、学校へ行けばやれタイガースだのブルーコメッツだのと話題は尽きない。感覚的にアンチに走りがちだったので多数の人がタイガースなら自分はテンプターズさらにゴールデンカップスからモップスとマニアックな少数派へと流れていく。といってもラジオの深夜放送で流れる多数の人が聴いている和製ポップスでの話だ。フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」とかシューベルツの「風」とかもよく聴いた。中3になる頃「卒業」という映画を見てサイモンとガーファンクルと出会う。あのハイトーンの美しいハーモニーは、白人のポピュラーミュージックの伝統的な流れの中で生まれてきたのだろうが、衝撃的ではまった。そしてジャズへのイントロダクションというべきセルジオメンデスとブラジル66’と出会う。今思へばセルメンがジャズ的なサウンド、大人の香りというかある種あこがれていた世界の扉を開いてくれたような気がする。
子供の頃の話をしてみよう3
習っていたピアノをやめて家にあったクラシックや映画音楽のレコードをただ聴いていただけだったのが、自分の小遣いでレコードを買うようになったのが確か中一の頃だ。始めて買ったドーナツ盤がビージーズのマサチューセッツ。当時大変はやった牧歌的な曲。B面がホリデイという曲でパイプオルガンのようなオルガンが全面フューチャーされていてどこか教会音楽のような神聖な雰囲気の曲。ラストのピーピピピーピーピーというリフレインが印象的な曲だった。この頃からだんだん音楽の世界にのめりこんでいく。小学校の頃は消極的でおとなしい子ながらも友達とフツーに遊んでいた。小四の頃から油絵クラブに所属し風景画を書くのが得意だった。確か何かの賞を取ってその作品が校長室の近くの廊下に貼り出されたこともあった。飯田橋駅に電車が止まっている絵だったと思う。風景や果物や動物を書くのは得意だったが人が嫌いなのか人物を描くことはなかった。私の風景画には人は登場しない。漫画、コミックが大好きだった私は小六の頃、一つ年下の従兄弟と漫画雑誌を作った。野球漫画なのでコミックのときは人はたくさん登場してくる。雑誌といってもわら半紙をホチキスで留めた程度の物だったと思うが。。足を骨折して入院していた小学校のクラスメイトにお見舞いの時差し上げたりしたが、もらったクラスメイトは本当に喜んでいたのだろうか?疑問である。中学に入ったとたん絵に行き詰まりを感じ描けなくなってしまった。学校も面白くなく虚しさで自分の感覚がしぼんでいったように今は思う。その虚しさを唯一癒してくれたのが音楽だった。
子供の頃の話をしてみよう2
音楽との出会いは、なんとなくだった。母は6才からピアノを習わせてくれたが、残念ながら面白いと思ったことはほとんどなかった。子供の頃からやれバイオリンやりたいピアノ習いたいと親にねだる子もいるのに、あまりやる気のない子だった。普通の遊び、がん箱とか(知らない人も多いだろうけどゴムボールを手で打つ卓球みたいな遊び)野球とかは好きだったが。それどころか小学校4年の頃にはピアノ教室に行くことがストレスになりチック症という神経症になってしまった。母もやむなくあきらめ、ピアノとは一生縁のないものと思われた。ただ、なんとなくとはいえ親父が聞くクラシックのレコードが部屋に流れると自然と覚えたりしていた。小3ぐらいには日本の五音階調の簡単な曲を作ったりもした。ベートーベンの田園シンフォニーのタッタラタッタ、タッタラタッタというフレーズが何回繰り返されるかとか、魔法使いの弟子という曲で魔法か何かで水が溢れ出す情景がリアルで面白かったとか、そんな感じだ。そしてはじめてピンときて良いなあと思った音楽は映画の音楽だった。母はオードリーヘップバーンが好きで、「いつも二人で」なんて映画を一緒に見に行ったりしたが、オードリーの代表作である「シャレード」が好きだった。ぺぺハラミジョという人のオーケストラでラテンタッチのアレンジ。メロディが物悲しく単調なのにバックが賑々しいアレンジでおもしろいと思った。他に鉄道員とか夜霧のしのび会いとかブーベの恋人とかアコギでメロをとる哀愁タッチの曲。イタリア人情物である。それと有名なダバダバダ、ダバダバダの男と女、フランシスレイの「雨の訪問者」「白い恋人達」等のフランス物だ。
子供の頃の話をしてみよう
私は産まれてから21日目に母方の祖母のもとに預けられた。母は子供が嫌いな父にせがんでつくった子供にしては簡単に手放したものだ。まあ学校の教師でもあり性格的にも子育てをするより知識を得ることに没頭することが好きな人なので、当然のなりゆきなのだが。。私もそういう境遇を寂しがったり、不満を持った覚えはない。むしろ祖母のゆきさんを好きだったので良かったのだ。大宮市大門町にあった母の実家には当時母の兄弟である私の叔父や叔母が同居していたこともあり、私のことを年の離れた末っ子のようにかわいがってくれた。祖父は日本橋の証券会社に勤めるサラリーマン。小学校を出ただけで丁稚奉公にだされるが、独学でそうとうやった人らしい。子供は好きだったように思えた。廊下でだっこされていたことを思い出すが、そのときの干してあった祖父のタオルの匂いが少しいやだったことと、酒が好きで愛想良くあやしに来た時ぷーんと日本酒の甘い匂いがしてきてまいったという記憶がある。二階には徳川家康の全集がずらっと並んでいたのを覚えている。毎朝6時に起きてラジオ体操して、きれい好きな人だった。その後私が東京で拾ってきた犬を飼うことになった時毛が落ちるから嫌だと言われ、飼ってはもらったもののちょっと反発も覚えたことを思い出す。色白のちょっと良い男。ものを言う人ではなかったが、父がいないと思っていた自分にとっては影の薄い父親と言ったところか。おそらく日本人の恥を知っていた人だと思う。ゆきさんは足利の機織屋のお嬢さんで使用人を何人もやとっていたような家で育った人らしい。めんどくさがりやで、あまり料理とかしない人のようだ。現に私が子供の頃食べたものの記憶は鮭やタラコのお茶漬けぐらいしかないもの。でも人間というものは何ができるとか、何をしてくれるとかではないが好きな人というのは当然いるので、私はこのおばあちゃんとは気があった。逆だったのは父方の祖母だった。この人はかつてニューヨークに住んだこともある人で、未亡人になってからは横浜本牧にある米軍キャンプの寮の寮母さんをやっていた。食べることが好きでお料理が好きで、12月には七面鳥の詰め物なんか作ってくれた。クッキーもよく焼いては持ってきてくれた。このおばあちゃんは多分とても気遣いのある人で、愛想もある人なのだが、子供の頃の私は大人の作った愛想というものが嫌いで、反発してしまった。しかし決定的だったのはその後東京で飼った犬をえさでつって手名付けてしまい、何か物でつって心を取ったみたいに思えて腹がたったのだった。犬だからえさについていくのは当たり前と言えばあたりまえなのだが。。今となれば苦笑してしまう。
最高のおせんべい
栃木県足利市の森田屋さんの薄焼きせんべいはすごい。おせんべい好きの私が思わず唸る醤油の味の絶妙なしみ込み方。注文があってから作るという職人さんがいかにも丁寧に焼き上げた味。今まで食べたことが無い最高の味だった。そんなに離れていないと思うが、群馬県の太田市の薄焼きせんべいもこれに勝るとも劣らないくらいおいしかった。北関東はこういう薄焼きせんべいが得意なのかな?足利といえば私の母方の祖母の故郷なのでした。何にも無いとこかなと思ってたけどこういうことあると親しみわくなー。
ちっぽけな自分を超える
感動したり認識したりもすべて人の頭のなせること。世界はそれぞれの人の頭の世界とも言える。だから頭おさえられていると、わかること、感じることも枠がありその人の頭の枠以外のことはキャッチできないということになる。同じものを見て人と同じだと認識しても、実際は皆違うものを見ていると言える。その頭で生きていると年取るにつれ自分の枠がわかってきて、飽きてくる。でも枠は変えられないから、だんだん感性も硬直し感動もなくなっていく。どんなに良くても自分の枠がある限りマンネリになってしまう。それが変わるとしたら宇宙とつながる頭になることだと思う。人間のしがらみを超えた世界。といってもどこか遠い所にある夢物語のようなことじゃなく実は自分の中にあること。実際宇宙、大気圏外に出た人や、いわゆる天才と言われる前人未踏の域に達した人、事故等で九死に一生を得た人等は経験することがあるという。でもそんな大変なことをしなくてもいだきしん先生に会うということで宇宙意識が芽生える可能性は多いに高められると思う。宇宙とつながる頭は今まで経験したことがない無限の世界を経験できるだろう。
最近思うこと
前にも触れてるんですけど、私には慢性的に腹が立っていることがある。以前は何か書こうとするとその腹が立ってることが邪魔して、今日はこんなことがあって楽しかったですなんて、あたりさわりないブログ書く気にもならんかった。あたりさわりがない、暇つぶし的なものか、2チャンネルみたいなものかどっちかなのね。どっちも人の気持ちが自然じゃなく何か型にはめられてるような気がしてならない。
思うに80年代以降ますますコントロールに拍車がかかってきているように感じる。ずーっと以前から、長い歴史を経て人間は何かにコントロールされ続け本当の自由等経験したことないのではと思うのだが、以前は支配の網の目が粗かったから救われてた部分もあったんじゃないかと思う。ゆるかったいうか。ただし目が粗い分だけ選択肢も少なかったのだろう。カエルの子はどう転んでもカエルみたいな。。今はというと目が細かくなった分管理統制が細部に渡っている、そういう人間が増えてきた。いわゆる画一化均一化というやつだ。ただし同時に多様にもなってきているから、どんなに支配しようとしても追いつかないところまできているので、この辺が一つの突破口になるのだと思う。音楽のフィールドでのアマチュアの人たちの台頭等があげられる。といってもこれにも良い面悪い面両方ある。ネットが普及して世界の情報をアパートの一室で、あるいは町中で手に入れたり、いわゆる素人さんのアイデアが多くの人の役に立ったり、ビジネスモデルを産んだりする反面、自殺やエロサイトの氾濫から人を中傷攻撃したりするものまであるのと一緒で、誰でも音楽を演奏したり制作したりでき、環境にしばれられず、才能を開花できる反面、良いものを聴いたり味わったりすることより、稚拙でも未熟でもなんでもとにかく人前でやってしまうという恥知らず的なことが横行している。今までの価値観が行き詰まりスタンダードが崩れた分何でもあり状態で、ずうずうしくて、えげつない奴の勝ちみたいな状態にも見える。
特に私が以前から言っている80年代以降、以前からの路線では新しいものが出なくなってきている。(Don’t believe over 80’sなーんて)その分レトロに走ったり、今まであったものを組み合わせたりということでもたせてきてはいるが。同時に企業のイメージ戦略というものが露骨になってきている。それだけ困ってる証拠なんだろうが、宣伝がヒステリックになってきている。それでも多くの人は持ってかれちゃってるんだけれども、何せ内容がなくて下らないものにますます踊らされてるというか。昔ある経営者が言ってたけれど売れるものが良いものなんだと。確かに良いものは売れなきゃいけないけれど、売れるものが良いもので、売れないものは悪というんじゃただの儲け主義になるでしょ。中身を見なくなってるし、もしかしたら中身の善し悪しがもうわからなくなってるんじゃないかと考えると暗澹たる思いにかられてしまうよね。
それで最近思うことは、こういう時代だから良いものを作って提供していかなければいけないんだとますます思う次第であります。いわゆる大手売れ線が(別に敵視してるわけじゃないけど)やってることはある水準は確かに押さえてるけれど何せ中身がない。意識先行、世間ずれはしてるんだよね。その上いかないとね。いつまでもバカのままじゃいけないんだ。生かさず殺さずの戦略にはまって終わりたくないからね。
やっとトラックダウン終了
晴れて私の28年ぶりにリリースしたリーダーアルバムのトラックダウンが終わった。多少荒削りの所はあるものの、全体にエネルギッシュなパワフルなアルバムに仕上がったと思う。特に早稲田通りのテーマはジャズの魅力スウィング感ドライブ感とテンションに溢れた素晴らしい出来でみんなに聞いてほしい曲だ。アメリカのジャズも最近は概してアカデミックなことが災いしてストレートな情熱に欠けるものが多い中で、理性的でありなおかつ情熱的であるという理想に近い形になっている。
「早稲田通りのテーマ」の由来
私の作った曲に早稲田通りのテーマというのがある。曲を作った4年前にふと気づいたのだが、私が通っていた小学校は富士見小学校といって、JR飯田橋駅から靖国神社に向かう通称「角栄通り」ぞいにあった。それで毎日その道を通ったり道で遊んだりしていたわけだ。その道が神楽坂につながり早稲田大学の前を通り中野へと向かう。中野は私の青春時代を4〜5年過ごしたところで、アルバイト帰りには夜の早稲田通りを落合から上高田まで歩いたものだった。その後家内が病気をして入院していたのも早稲田付近だったのでよく通った。そして今また高田の馬場のライブハウスの前を通っているのも早稲田通り。そんな訳で何かこの通りに愛着を感じたり、過ぎ去った時へのノスタルジーを感じ、作ってみたのです。
Openjazz
特別普段ジャズファンや音楽ファンでない一般の人にも広くアピールするジャズというのができないものか考え中です。いつも思うにマーケットはたくさんあって、人もたくさんいるのにジャズの店と限定してしまうと人が来ない上に来てもマニアのような人が多いとなると、可能性を感じなくなってしまう。もうジャズが酒場の音楽というコンセプトは時代遅れもいいところなのだ。だけど人は変われない。となれば新たなマーケットを開拓するよりないわけだ。一般の人にアピールするジャズ。ただしイージーリスニングみたいのはやりたくな。、あるいは大衆に媚びてべたな曲のオンパレードやリクエスト大会でもないライブを考え中ですんで。。待っててよ。
お好み焼きの染太郎
浅草の国際通りから少し入ったところにある古ーいお店。表から見ると屋台風だが入ってみると古い日本の普通の家のような感じ。床も所々ギシギシ言っていた。梁を見渡すと有名人のサイン色紙等が飾ってあるが、よくある芸能人のサインとはひと味違う昔の作家達のものと思われるものがそこここに…。その中には先代のおかみさんの人なつこい笑顔の写真もあった。聞くところによれば、戦後の貧しい頃、何とか安い材料でおいしいお好みを作ろうと創意工夫したおかみさんが編み出したのがおもち4個で囲ってその中に具を流し込む独特のスタイルで、オリジナルメニューのしゅうまい天というものだった。これが美味。また、山寺天といっって何で山寺かはわからなかったが、長ネギと万能ネギと赤味噌とキクラゲと肉というこれまた変わったとりあわせのものだがこれもまた大変結構でした。個性ある味と古き良き東京のふんいきあるお店、ぜひおすすめしますよ。
かんだやぶそば
江戸末期からあるところらしい。古き良き東京のおそば屋さん。雰囲気があって人も沢山来ているようだ。麺は細くて、量も少し少なめでお味の方も上品な感じでした。神田というところはビジネス街でサラリーマンの街であると同時に江戸の風情をそのまま残している。すぐ近くにアンコウ鍋のいせ源や手打ち蕎麦のまつやというのもあるので行ったらまた報告しまーす。
なんとも不思議な感じ
昨日は下落合のシャロームというお店でのライブだった。お店の方には失礼かも知れないが、30年前ぐらいのしかも地方のジャズ喫茶に旅の仕事で行ったような不思議な感覚。ママさんもとても良い方、親切で良く気が回る人。ささやかではあるが手作りの料理をふるまってくれた。ジャズが好きで、ミュージシャンにはできるだけのことをして迎えたいという気持ちがストレートに伝わってくる。若いころ旅の仕事で地方に行った時のような感覚になるのだ。お客さんは常連さんのような方達がいらしたが良い感じ、やはりどっか地方都市に来たような気持ちになる。都内の店でやっていると音を売り物にしているのにすぐ客を何人呼べとかいうわけのわからんところが多い中で、こういう所もあるんだなーといったところか。
多数決がおかしいんじゃないか?
以前からずっと感じてたんだけれど、多数決で物事を決める、あるいは決っていくということがものごごろついたころから当たり前のようにあったけれど、これがおかしいんじゃないかと思うのです。じゃ、少数派が良いというわけではないけれど。。数が力になるということで、別に正しいこととか良いことが多くの人の判断というわけではない。もう子供の頃から多くの人が何か多くの人の支持を得たものや事は正しいような良い事のような幻想に捕われている。マスメディアの言う事をそのまま信じちゃってる人がたくさんいるわけだ。民主主義の多数決が正しいという幻想。自分で考えられないと人の目が気になって、人の頭で生きる事になる。みんながやってる事は安心で自分だけ浮くのは怖い。赤信号みんなで渡れば的な主体性のない生き方になる。操作する方は人間の守りの心理を巧みに利用して数をとってしまう。政治でもメディアでも数イコール力というわけだ。音楽業界でもどこでも一緒だ。数字を取る事のための宣伝等にいささかヒステリーぎみな時代のようだ。多数の人間の判断が正しいというのが傲慢なような気がする。大昔の時代はつい野蛮だという見方をしてしまいがちだが、神様や、自然を畏れて生きている人達の方がはるかにノーマルだと思う。といって昔には戻れないし…。だけど希望がないわけではない。話を戻すと自分をよくわかった賢い人が増えていけばいいのだ。多数派有利みたいな流れに乗らない、だまされない人。今は少数派でしょうけどきっと増えていくと思う。
スタンダードという幻想
オスカーピーターソン。いうまでもなくジャズピアノの巨匠である。先日75’のジャズフェスのライブDVDを見たが、その迫力がすごかった。ピアニスとである私にとっては映像で手の動きが見えるのでその動きに目が釘づけになった。ため息がでるような超絶技巧だった。
俗にピーターソンはジャズの大衆化に貢献した人との評価を受けている。さらに言えばここで言う大衆とはアメリカの白人大衆ということである。確かにアンダーグラウンド的でマニヤックになりやすいジャズの世界で、これだけわかりやすいというか、ポピュラリティのあるジャズはない。しかしこのポピュラリティって何なんでしょうね?ひるがえって自分のことで考えると戦後の進駐軍キャンプ時代に流行ったスタンダードと呼ばれる曲をやっていれば無難みたいな空気があるのはわかるのだが、現代のような価値観が多様な時代にあっては何がポピュラーであり何がスタンダードなのかと思う。本当はスタンダードといってもその時代のみんなの意識が作り出した幻想なのかもとも思う。よく説明を求めた時人はみんながやってるからとかみんなそういってるとか言うけれど、良く聞いてみると大した根拠もなかったりすることが多い。まして私のようにある程度長く生きてくるとあの時あんなに流行ってたり、みんなが言っていたある価値観が跡形もなく無くなっていたり、すっかり変わってしまうことが少なくない。
もう今の時代はスタンダードっていう幻想は壊れてしまっているんだよね。自分らしいことをやれば良い。そして時代を風靡したピーターソンでも時代の流れの中で消えかかっている、そんなすごい変化の時代なんだなと感じる。
お薦めの稲庭うどん
JR田町駅から慶応大学に向かう飲み屋食べ物や小道途中にある稲庭うどん屋はかなりおいしい。カウンターと小さいテーブル席一つの狭い店。そのうえ古い。見た目がしょぼく、お客も少なかったのでどうかなと思ったが入ってみた。鴨肉が入ったつけ麺スタイルのもの2つと温麺の3種類しかないのだが、かなりおいしかった。しゃきっとした細麺のうどんとなんともいえない良い味の汁がたまらない。結構おいしくても2度3度と通う店はほとんどない自分にとっては久々のヒットだった。またいこーっと。
最近感じていること—2
どうせ書くなら夢を感じるものを書きたいと思ってるんだけれど、やさしくはないね。あんまりくだらないことにつきあわせたらたまたまでも読んだ人に悪いと感じるもの。自分の演奏もそうですよ。
このところずーーっと社会というか周りの状況に対して不満を持っていたからなかなか書く気になれなかった。批判的なものをぶつけてもだれも喜ばないだろうし、まして人の悪口など最低だ。自分が負けてる証明をしているようなものだ。それが、最近になって変わってきたようだ。といっても周りの状況は何も変わっていないんだよね。だめなことにいっしょにつきあうことはないんだ。自分のやることをやっていくということですね。
ミュージシャンに戻って3年半程になるけれど現場を経験すればする程けったいなことになってるんだね。これも頭ではわかっても現場を体験するから実感するんです。どこいってもおかしいんでしょうね今の時代は。で、あんまり書くと妙に警戒されたりしてね。人の能力はあきらかに落ちてる。意識は細かく細かくなってるけれど。虚像がでかいつらして。。今までの延長では新しいものがでないので腐ってきているんですね。自分も70’sの音楽に題材を求めたりしてるんだけれど、懐古趣味じゃなくて、音楽が生き返ることやってないといかんと思う。どうせやるなら本気でやろうと思う。おちゃらけみたいなのがのさばっててもね。