Monthly Archives: 7月 2004

断片的な独白(13)

知識、技術の右肩上がりの進歩は1980年まで。後は細かくなっていっているだけ。音楽の現場にいて感じることだ。今はじめて感じたことではなく、20年ぐらい前から感じていたけれど今ますますその感が強い。昔は知識や技術は幼稚だけれど身体能力や直感、生命力は強かったように感じる。今は、知識や技術の水準は高くなっているが、中身が幼稚になってる。中身が無いと言っても良い。最初は技術が高いからすごいと思うがそのうちなんだこりゃみたいにがっかりすることが多い。内面的危機ということだ。
はじめに良い状態がないと教育によって培われた技術や知識が却って人を駄目にしているようなことを感じる。お金もそうだけれど、技術や知識があることで、何かものをわかったような、できてるような幻想に捕らわれがちになるもの。これがワナだ。確かに教育のおかげで、沢山の人々にものをやれるチャンスができたり、物事を考えたりする基礎ができるからなくてはならないことなのは当然なんだけれど、やりようで良くも悪くもなるということだ。時系列で考えるだけでなく、先進国と途上国ということで考えてもわかると思う。アフリカの人が高度な身体能力や直感にすぐれていたり、見えないものと交流したりすることは、むろん個人差があることだが、一般に先進国といわれる地域の人達より優れていると言っても良いと思う。逆に教育が低いために病気や、貧困、戦争などで落す命も多い。もちろんこれも先進国、持つ国が持たざる国から搾取する構造から来ているわけだが…。
しかし持たざるところも。進歩、発展ということで先進国の方向で行きたいわけだから、今の中国じゃないけれど、結局欲望の再生産という搾取、収奪の路線には変わりは無い。誤解なきように。自由な競争。まっとうな向上心。発展成長の欲を否定しているわけではない。それが無かったら、人間じゃないしね。
内面が豊かで、それに基づいた知識、技術が高められていくことが求められているのだと思う。
自分自身の構造改革やってますか?着々としこしことやってます。頑固、頑迷な人間だからやりたいことは早く納得いくまでやらないと次に行けないのだ。旧態然としたことやってる人はほんと旧態然のまま動かない。だめだだめだとわかっていても動かないのが日本人だから、今のままだと全員玉砕だよね。といっても方法論でやれることはみんなあがきながらもやってるわけだから、そんなものでは何の足しにもなるはずない。いかに自分らしくやれるかだ。世の中変わるといっても今日でお終い、ハイ明日からこうねみたいに変わるもんじゃない。じりじりと二極分化が起こっていて気がついたらすっかり状況も変わってるということだと思う。つくりものでどっかの手先にコントロールされて終わるのか、一人一人が自分の本音で生きはじめるのか。人々はこっちを求めていると思う。