Monthly Archives: 12月 2003

断片的な独白(9)

政治の限界。多数決によって意思決定する議会制民主主義の限界を最近頓に感じる。結局王様を頂点としたピラミッド型の体制が何も変ってないから。現代社会は権力者がわからないように大衆をあやつっている。あたかも大衆が選挙等で政治家を選び、自分たちの利益を代表するようなしくみにはなっているが、それは建前であって、実際にはカネを動かしている勢力の利益になるように大衆は使われている。
ただ、混沌のように見える現代社会も方向としてはこれでいいのだと思う。人間一人一人、個が息づいてきている。多様化のなかで、あるグループにいる人は全部同じ色というのが崩れてきているから。ソ連が崩壊し、資本主義対共産主義というイデオロギーの対立が無意味になってきて一つの大きな枠が崩れた。今度は各地で民族紛争が起こり、それは今も続いているが、民族〜地域と細かく細かくなってきている。それをまとめる政治も本来多種多様なものを十羽一絡げ的に掬い取るという事がそもそも無理なのだと思う。大衆も顔が見え、賢くなってきた。本当はアメリカ追従なのに平和と民主主義の為にとかテロに屈するなとかしか言えない政治家の発言があまりにも薄っぺらに聞こえるのは自分だけではないだろう。党なりある立場という建前のなかに埋没してるのか、歴史的、宗教的な背景を知っていて無視しているのかはわからないが…。期待はできないが、やってもらわないとどうしようもないので。
ある人たちに言わせれば、空想の絵空事としか映らないだろうが、一人一人が良くなる事と人間全体が豊かになっていく事とがイコールにつながって生きていれば良いのだと思う。これが永遠のテーマのはずだ。これができなくて、いつも争い、ほっとくと勝手な事するので、法律や道徳で縛ってきた。なんで勝手なのかといったら、業があるからだ。それを宗教などで閉じ込め押さえ込んだりしてまた大変になる。牢屋にいるのに自由だと思って生きている人達。全てあきらめてるのに悟ったと勘違いしている人達。
なんでも分業化されている現代社会の矛盾と息苦しさ。政治は政治屋の、音楽は音楽屋の仕事と分けられている。自分の気持ちで今の日本をこうしたいんですと言い切れる政治家はいないし、出ないだろう。仮にいても今の政治のシステムのなかでは動けないから…。石原さんみたいに議員辞めた人は言えるけど。音楽ではそれまでの世界を一転させるような革命的な音楽家、天才は出ない。昔の人のやった事を、早くからよく知っているような小粒なのはよくいるけど。メディアが何ぼ膨らませてイメージ戦略やってもそれほど売れないというのは大衆もそれほど馬鹿じゃないということか。やはり本物の出現を待ってる。