スタンダードという幻想

オスカーピーターソン。いうまでもなくジャズピアノの巨匠である。先日75’のジャズフェスのライブDVDを見たが、その迫力がすごかった。ピアニスとである私にとっては映像で手の動きが見えるのでその動きに目が釘づけになった。ため息がでるような超絶技巧だった。
俗にピーターソンはジャズの大衆化に貢献した人との評価を受けている。さらに言えばここで言う大衆とはアメリカの白人大衆ということである。確かにアンダーグラウンド的でマニヤックになりやすいジャズの世界で、これだけわかりやすいというか、ポピュラリティのあるジャズはない。しかしこのポピュラリティって何なんでしょうね?ひるがえって自分のことで考えると戦後の進駐軍キャンプ時代に流行ったスタンダードと呼ばれる曲をやっていれば無難みたいな空気があるのはわかるのだが、現代のような価値観が多様な時代にあっては何がポピュラーであり何がスタンダードなのかと思う。本当はスタンダードといってもその時代のみんなの意識が作り出した幻想なのかもとも思う。よく説明を求めた時人はみんながやってるからとかみんなそういってるとか言うけれど、良く聞いてみると大した根拠もなかったりすることが多い。まして私のようにある程度長く生きてくるとあの時あんなに流行ってたり、みんなが言っていたある価値観が跡形もなく無くなっていたり、すっかり変わってしまうことが少なくない。
もう今の時代はスタンダードっていう幻想は壊れてしまっているんだよね。自分らしいことをやれば良い。そして時代を風靡したピーターソンでも時代の流れの中で消えかかっている、そんなすごい変化の時代なんだなと感じる。