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断片的な独白(5)

天才とは、どんな人なのだろう。良い面だけ言うとと飛びぬけた能力で人に勇気や活力をあたえたり、時代を引っ張っていく人とか言う事になるが、反面、勝手気まま、超エゴイスト、ジャズミュージシャンだと溢れる才能と共にドラッグ、セックス中毒や反社会的な生き方がお決まりだ。今の管理社会、物質中心の社会の中でドップリはまってたら人は閉塞感を感じる。(まともな人は感じる。それも感じないかいやなことは感じない、考えない人は大勢いるが)そこから逃れる為に、気晴らし、気休めに何かしていることがほとんどだ。(時間つぶしの人生とはだれも考えたくないのでこれも否定する人は多いだろうが)人はだれでも本来の自然な生き方をしたいのに自分で自分をしばることをしている。支配の構造を生まれたときからずっと引きずってきたので人を支配ーコントロールしたいのと同時に何かに支配されたい、はまりたいのだ。
ミュージシャンで天才的なのは、決まってドラッグかセックス中毒なのは、ようするに日常から飛びたいわけだ。しかし、いくら飛んだとしても、あるいは飛んだつもりでも、中毒になったらまた、檻の中だ。無いと不安になるという完全にコントロールされた状態になり元のもくあみどころか、へこんでしまうわけだ。
じゃあ毎日同じことして、地味ーにして、趣味や、カラオケや、酒か何かで気晴らしして生きていくことが幸せなわけでもない。ガーンとはねっかえるか(今の若い人見てるとそれも無いみたいだけど)真綿でじわじわ締められて終わるか、ハネッカエリもドップリも同じ檻の人達ということになる。まず、負けてることを正直に認めるところから始めよう。
フツーにいてフツーじゃない状態。外から見てる分にはまったくフツーなのに、気違いみたいに研ぎ澄まされた状態、エネルギー。


断片的な独白(4)

いだきしん氏のジェンダーの講座に出席すると頭が良くはたらいて、いろいろと言いたくなる。        人って(自分も)本当のこと、本質的な事または、幸せに生きる事と言っても良いことを求めているくせにいざ目の前にそれが現れると怖いのだ。今まで、恨みや不安をバネに生きてきた歴史的な癖がぬけないから。始終まわりや誰かに文句を言ってる人は、20年30年たっても同じように文句を言ってる。不満や文句を自分で作っている様にも見える。幸せになったら、かえってどうしていいかわからなくなっちゃうんじゃないかとさえ思えるほどだ。
同じように、本質的な話や話題はなるべく避けて通るようにしているとしか思えない。TV,マスメディアがそうだし、(避けるばかりか、コントロールしてるし)今、自分がいるバンドの世界も、ジャズという アメリカの音楽をあこがれ、まねてきたのは良いが、そこで止まってるからどうしても表面的になって、スピリチュアルなものが希薄だ。ライトに流すのが主流になっている。あまりマジな話をしたりすると変わり者扱いされる。もともと音楽やっているやつ等く変わり者と言われている人なのに、その人たちに変わり者扱いされたらどうなんだろう?もとにもどっちゃうではないか!例えば、ミュージシャンだったのが、13年もやめてて、また弾きだしたなんて、普通なんだろう?と思うと思うんだけれどほとんどの人は深くは聞いてこない。聞いてくれた人とは話がはずんでいだきしん氏の話やコンサートの話になるんだけれど…。
自分も何もわかっちゃいない人間ですけれど、本来の日本人てこんなもんじゃなかったはず。ジャズが好きでやめられない一人の日本人として、深い気持ちとか魂ある生き方を探求して行きたい。
今のカオス状態からぬけるとさらに淘汰されて、いよいよ本物の時代がくるとい思います。


断片的な独白(3)

今は、ミュージシャンをやってるわけなんだけれど、自分の知る限りでは、ミュージシャンの人は、楽天的な人が多いように感じる。自分もその一員だから、かなりおめでたい部類に入るのだろうが、すぐそこに破綻がせまっているのに何にも関係なく生きている。弱いのに強い人。がんこなくらげみたいなもんだ。(そんなものいるのか?)音楽は、本来魂の表現だから当然スピリチュアルなものだと思うのだが、現代資本主義の社会では、音楽も物質化されてきているというか、より均一化画一化される方向ある。一山いくらみたいに。まあ、こんな事を書くと職人気質の保守的なミュージシャンから文句がきそうだが、私は全然かまわない。どうせ変ってる方だから。(そうでもないか)私は職人さん好きだけど、世の中や社会のことにまったく無頓着で、ただ自分の世界のことだけでやっているとしたら、接点をもてないですね。特別悲観的でも、暗いわけでも、理屈っぽいわけでもない。高校生の頃街頭デモに参加したからといって、別に左翼でも共産党でもないし。魂の交流が大切なんだからと言ったって、なんかの宗教にはまってるわけでもないし…。ただ普通でいたいだけです。本当のことをわかりたいだけですね。それには、まず良い感性があって、必要な知識もないといけないのですが。
若いときはわけもわからずコントロールされ、年取って少し社会のことがわかってくると自分がいかに操り人形で、使い捨てで、我々庶民はブロイラー、家畜状態で生きているかわかった頃にはにっちもさっちも動けなくなってあきらめて終わるという一丁上り的な人生からの脱出。音楽やってる人が自由等という幻想にはまるべからず。最もバブリーな職種と理解しそれをわかったからまたやることもでてきたというもの。


断片的な独白(2)

言葉で表現すること。通じているようで通じてない怖さ。少なくても日本人が日本語どうしだったら、意味がわからないとか聞き逃したりした場合以外は、通じているとの了解のもとに会話なりが進んでいくのが一般的なことだと思います。だけれど例えば同じ「好き」とか「良い」という表現にしても、更にどう好きか、どこが好きか良いかと突っ込んで説明してみても、説明は説明、人の感じていることは皆違う。同じ言葉でもその人それぞれの生まれ、育ち、環境によって皆違うわけだ。
所詮言葉で通じ合う等というのは無理というか、とても信用できないということで、音楽に行ったようなところがあります。ところが音楽の世界に入ってみたら音楽の文法のような世界があって、楽しいのはこんな言い回し、悲しいのはこうという決まり文句的な世界があって、感激したり、涙したりするのもどっか作られた世界に踊らされているだけじゃないかと考えるようになった。感動すらコントロールされている…。
ジャズという音楽も形式や決め事が多いクラシック音楽に対して、即興で自由にやれる音楽というのが魅力だったはずだけれど、これはこれで決め事だらけというか、狭い世界のある感覚しか受け入れないような気難しいところがあり、自分もそこにハマッテると思った。批判や否定的なところから生まれた音楽に批判や否定的な人間が一人ハマッタだけのことだったのだ。ただ、不思議といつも考えさせられたことは、自分が行くところ行くところジャズに出会うのである。気がつきはじめるとおもしろいようにいつもジャズと会うので、しまいには笑ってしまった。ああこれはもう、自分のこだわりであり、要するに業なんだと…。自分から逃げたい、否定したければするほど追っかけてくる。そう考えて見ると、好きなのに正直じゃなかったり、やりたいのにあきらめたり、いろいろやり残している事あるなーと考えるようになったのです。やはり自分はどっか素直じゃなく、いいかっこしたかったのかと…。
ただ好きなことをやるといっても、ものをやり続けるということにはいろいろなことがあるんですよねー。何か一つやりきれば次の展開も見えてくるというもの。そんなで今は音楽を思いっきりやってみようとしているわけです。
言葉のことでいいたいことがあったんだけれども、ジャズと今後の。話になってしまいました。今度書きます。


断片的な独白(1)

私の居た高校では、1969年に学園紛争が起こり、当時の3年生と1年生が中心となって、全校集会、教師との対話集会、バリケード封鎖等を行った。その後、機動隊による封鎖解除、学校当局による大量処分という動きのなかで、運動自体は瓦解、拡散した。私は1970年に入学したので、紛争が当局によって鎮圧された後の白けた空気の中、通学していた。白けの時代とか三無主義(無気力、無関心、無責任)いう空気が蔓延していた時代です。 
私より1年上の運動にかかわったK氏が、仲間達と作ったパンフ(幻のニャロメ軍団書記局編)の中に載せていたのが「断片的独白」というタイトルのエッセイであった。当時の時代の空気ー虚無感、孤立感といったものが、15才とは思えない早熟な、才気溢れるタッチで伝わって来た。その後、K氏も私も学校にまともに通うことができず退学し、高校検定試験を一緒に受けに行ったりもした。そんな氏のことなので、同人誌や詩集を出したり、後に私がジャズミュージシャンのかけだしの頃、ライブハウスに来てくれたりもしたが、いつしか疎遠になってしまった。おそらく某雑誌社に勤めているらしいのだが、確かなことは不明だ。
今、こんなことを書いてみたくなったのは、文学の才能溢れる氏ばかりでなく、理由はどうであれ、あの時動いたある純粋な気持ちがみんなにあったこと、そしてその後、何もなしえず、あきらめと挫折感の中で、自分をはじめ学校や社会から逃げ出す人、ものを言わない(言えない)人になって日常に戻っていった人にもう一度新しい風を送ってやろうという気になっているからだ。
あの頃の自分を思うと、あまりに弱く、無力で、負けっぱなしの人生だったけれど、15,16,17才の頃持っていた純粋な気持ちは今も消えていない。今まで生きてきて、間違ったこともいっぱいやってきたけれど、だからこそ強くなっている自分もいる。みんな元気ですか?元気でやっているといいですけど。青春の時の純粋な心を思い出して一人一人が新しい風を送ること、一見無力な庶民、普通のおじさんおばさんが動き出すこと、何かはじめることがすてきなことだと思います。また、70年代と違い、今の時代はそれができる時代だ。そんな気持ちから、日々感じた事を書いていこうとはじめたのがこの断片的な独白です。