フットプリンツ14

1984年頃の私は公私共に煮詰まっていたと思う。薬物中毒の生活も長くなり感性も硬直化し、また音楽の仕事ではある熟達した部分はあるものの感動が無くなり、自分の枠をすぐ感じてしまう、ようするにマンネリ化というやつだ。そんな色のない世界に生きていた時出会ったのがM.O.さんだった。当時同じジャズピアニストとして活躍していた。最もご当人にとってジャズピアニストとは言われたくなかったかもしれない。というのもジャズに進んだきっかけが即興演奏としてのジャズ、現代音楽や、民族音楽の延長上にあるジャズという音楽の一つの可能性という観点だったからだ。私の場合はというとジャズのアドリブの醍醐味は大いに感じていたものの、何よりジャズの持つムードが好きだった。M.Oさんの場合、黒人音楽というとむしろポップスとかソウルに魅力を感じていたようだ。そんな同じジャズピアニストでもタイプの違う二人がピアノデュオのライブを何度かした。表に出てくる音は違っていてもとても楽しくできた。自分には理解できない音使いなので面食らう事も度々で普通うまくいかないはずなのに‥‥。元にある音色やリズム感が良いなと感じていたからかもしれない。私の煮詰まってる枠を鋭く指摘してくれたりした事等、本音で語れる人なので信頼感も強かったのだ。なかなかミュージシャン同志で表面的な褒め言葉や批判ではなく感じた事をズバリ言える人はいないものだ。そのM.O.さんが後に斉藤先生を紹介してくれる事になる。