フットプリンツ13
薬物依存等あまり語りたくない部分にもふれてきたが、流れ上書き進めてみよう。1978年頃ドラマーのジョージ大塚さんがよく仕事場に遊びにきて叩いてくれた。今までやったどのどラマーにもないスピード感が凄かった。一緒にやっていると自分がふわっと浮いているようでこういうリズムの出せる人は誰もいない。きびしいので有名な人だったがそれだけのことはある魅力を感じたものだった。そのジョージさんからバンドに誘われた時はようしっ、と思ったわけだ。何度も遊びに来て私をテストしていたらしい。ジョージさんのバンドは、渡辺貞夫さんや日野皓正さんのバンドと共に当時の日本を代表する有名バンドだ。以前にも書いた市川秀男さんや大徳俊幸さんといった名ピアニストもかつてこのバンドにいて、ピットイン等にライブを見に行っていたものだった。そんなあこがれのバンドへの誘いなのだから、大変とは思いながらも二つ返事で引き受けた。ところがその当時のジョージさんのバンドのピアニストに求められていたことは、シンセサイザーを駆使してウエザーリポートとはいわないまでも、伝統的なジャズ(4ビートジャズ)とは違うサウンドを求めていた。こういうバンドにいたおかげで後にずいぶん電気楽器にも触れることになった私だが、頑固で不器用な人間にとっては苦手なことが多く、自分にとっては手かせ足かせをされたような状態でストレスの日々だった。そこにジョージさんの罵声がステージ中でもかまわず飛んでくるわけだからたまったものではない(笑)スリクいっちゃえで悪循環この上ない。2年ぐらいしてやっとわかってきたことがあった。それまでの私はジャズという音楽の中でもほんのある一部のことを集中して追いかけて来た。ジョージさんは長年の豊富な経験からジャズというフィールドの中ではあるが、トータルで広く一般的な音楽のやり方みたいなことを伝えていたのだと思う。形式的な従来のジャズの手法からより自由なあるいは自然な歌(アドリブのソロのこと)、音楽の物語性というかストーリーの起承転結みたいなことだ。その後当然といえば当然なのだが、現実は人間が作ったフィクションの世界、起承転結のようには決して動いていないし、フィクションの世界というか、あっちの世界にとられるのではない、現実そのもののNow & Here の音楽というか音表現ってできないのかとか考えたり、音楽一つとってもヨーロッパ、アメリカを中心に発達したジャズやロックやクラシック音楽が音楽あるいは音の表現の全てではないと気がつくまでにずいぶん時間がかかった。そんな狭い自分から抜け出したと思ったらまたある別な観念に捕われていく。そういう意味では良いプロセスを経験をさせて頂いた。