『君主論』ニコロ マキアヴェッリ著(岩波文庫)
いだきしん先生の経営者の講座の中で話が出たので、改めて目を通してみてまず感じたことは、マキアヴェリズムに対する一般的に伝わっている悪い印象がまったくなくなったところです。目的の為には手段を選ばずというフレーズが、ともすると冷徹で人間性を無視したものと言う意味で語られている文章をよく見てきたからだと思いますが、実は、人間の本質を冷静に掴み、現実を直視することで、第一線に立つ人が、困らないようにすることを語っているのだと理解できました。マキアヴェッリの生きたルネッサンス期のフィレンツェは、歴史的な大転換期で、先日塩野七生さんもテレビで言っていましたが、ルネッサンスというのは、ローマ帝国以後、1000年、キリスト教社会でやってきたが、人間は何も変わらない。変わったのはせいぜい、ローマ時代の人間同士の殺し合いの格闘の見世物を禁じたぐらいだと。それならば、ギリシア時代の原点に立ち返ってもう一度人間を見つめ直そう、ありのままに表現しようということになって、それがメディチ家の経済力とあいまって花開いたということですが、マキアヴェッリの感性というのもそんな時代の風をうけて育ったのでしょう。国の惨状に危機感をいだき、イタリア統一の志なかばで倒れたチェーザレ・ボルジアを惜しみつつ、何とか国を良くしたいという気持ちが、指導者へのメッセージとなっていったのだと思います。最終章に「あらゆる物事があなた方の偉大さのうちに集まってきた。あとは、あなた方自ら実行しなければならない。神が何から何まで手を下そうとされないのは、私たちから自由意志を、また、私たちに属する栄光の部分を、奪わないためである。」とありました。ルネッサンス以上の大転換期といえる今の時代にこそ、現実をありのままに受け止める冷静な感性と実行力が求められていると感じます。