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水橋孝三重奏上海公演

水橋孝三重奏上海公演楽しく終了!

皆様に感謝、感謝。

まずいらして頂いた大半の方々が20代、30代の若者という事に驚きました。超マイノリティなのでしょうがものすごく熱心に聴いているのがわかる。ノリで聴くというよりじっくり鑑賞しているという感じ、かつてジャズ喫茶で聴いていた自分と被る。日本人のジャズ、そしてレコードに価値があるようで、半世紀またはそれ以前の60年代の今日本ではまず手に入らないレコードを持ってきてサインを求められる。

懐かしいスリーブラインドマイスのレジェンドの方々のものや自分の半世紀近く前にリリースしたレコードを次々に持ってきてはサインまたサイン。。何で知ってるんだろう?どこで手に入れたのこれ?みたいな。。

ちょっと不思議な感覚になりました。

熱心な仕掛け人がネットを通じて情報を投げかけ火がついたとはいえ、インタビューで来る質問がまた私自身のアイデンティティを問われるものや日本のジャズの立ち位置や今後の展望など真面目なものが多く本当にすごいなぁと思いました。

バンドリーダーのGONさん、ドラムスの小泉さんはもちろん、企画、制作をして頂いたヨヨさん、大石マネージャー、日本のジャズを大切にしてくれるお客様全てに感謝。

来年また行きたい!


日本の職人

ジョージ大塚さんのところに集まったミュージシャンは非常に優秀な日本の職人気質の人々だと思う。欧米にはかぶれないけれどやるからには欧米の音楽は良く研究する。それは日本人の魂。Nippon Soul!


ミュージシャンが音楽を始める動機

人と違うと言うことに今さらながら気がつく。 あの当時これが好きでやりたいというより何もやる事がない、したくないというところから生きるなら何かやらなきゃという事で始めた音楽。 参政党のどこにも入れたい政党が無いから作ったというのとどこか似てるような気がする。


所感 Impression

日本にジャズ文化などなかったんだとつくづく思うこの頃。

敗戦後GHQの支配下の中で育った進駐軍ジャズ(キャンプで育った)と自虐史観教育で欧米コンプレックスがたっぷり染み込んだ学生が流れたジャズ喫茶文化?の中で、アートとして育ったかに見えた日本のモダンジャズ。

右肩上がりの時代は終わり、過去の価値観は瓦解しているこの時代の必然性を理解できなければ、今まで何年も努力して積み上げてきたものがほぼ何の役にも立たなくなった現実を認める事は本当に辛い事だと思う。

ライブシーンでは、やりすぎでもあくまで技術の優位性にこだわるタイプと稚拙なままでも人間関係や互助会的なつながりで人の来なくなった店に集客要員として雇われるタイプとがある。いわゆる二極分化だ。

どちらも聴きたいと思わないしつまらないと思うのだが。

そこに来るお客で前者は何か偏差値教育でやられた頭がその優位性に反応するマウンティング志向派、後者は音楽はわからなくても話し相手と暇潰しの相手がいれば御の字という派。

店のオーナーは後者の方が経営の足しになるらしい。その店もなんで音楽を売りにしているのかさっぱりわからない、あるいはわからなくなった店が多くなった。

お寒いというか腐りきっている日本の現状とリンクしている。

今は真にやりたい事、好きな事、必然性がないとできない事が白日の元にはっきりしてきたのだと思う。The Party is Over。 歌詞の意味とは違うが、目を覚ましてリアルになれという事だ。

とはいえほんのわずかでも良い音楽の魅力をわかるプレイヤーやリスナー、オーナーがいる事も事実。商売として成り立つのは難しいけれど。

過去にしがみつく守りでは先はないが、今一度真っ当なところからのスタートよりないのではないだろうか?


ますます感じる事

方法論的には出尽くして30年以上ずっと止まっている。対して情報化社会で、情報が行き届いているからみんな同じように上手い。

画一化、均一化の波。

しかし自分を含め過去に聞いたり知って覚えた事しかやっていないから、いくら素晴らしく見えてもそれは過去の遺物なのだ。

一部の突出したと言われる人にしても今言った状態は変わらないのに技術だけ上がっているからそれはTo Muchという事になる。今のトレンドはそういうケースが多い。俗人はそこに流れるが何も残らない。生まれない。

違うステージに立った音を出せないと人は感動しない。

ジャンルは問題じゃないと思う。

単なる分析ではなく感じる事なのだ。


張子の虎とやり過ぎ

高度情報化時代は紛い物の時代とも言える。99厘嘘だが、以前は絶対知り得なかった情報が拾える事もある。

感性良くないと屑情報に引っかかるだけ。

しかしつくづくフェイクの時代だと思う。音や映像、SNSいくらでも加工、捏造できる。見た目だけの張子の虎ばかり。人も文化もこの国もちょっと触ったらシロアリに食われた柱みたいにバスっと崩れちゃうみたいな。

話は飛ぶが、音楽でもジャズでも頭でやっている人は音が頭にばかり響いてうるさいだけ。心に入ってこない。

何かTo Muchに虚勢を張ったり酷いのになると脅かしたりするような音が多い。

日本には昔から良いことわざがある。

「過ぎたるは及ばざるが如し」


一丁上がりか、しぶとく潜るか…

単純な人は一見強く見える。

だって悩みも迷いもないから。

でもそういう人がいつまで持つかな?

ちゃんと物を考えたらおかしな事ばかりの世の中だとわかるはず。一丁上がりの人生、俺は私はいったい何だったんだろうと思う事にならないように。。


ミュージシャンの今

ミュージシャンはどんなに楽器や歌が上手くてもそれだけじゃだめだと思う。

今は音楽のロマンだけで生きていける時代じゃないから。

もうそれは終わっている。世界で起こってる本当の事をわかって行かないとだめなんだ。

アスペルガーやオタク的な人が音楽や芸術を得意とする時代は終わっている。社会性があり、トータルな人間がアートを作る時代。


最近思うこと

もうだいぶ前から感じていた事ですが、時代はすっかり変わった。

今までの伝統的な流れの先に未来はないし、何となく右肩上がりで人も世の中も進歩しているのだと思っていた事もあったがそれはない事をわかる。過去の方法論や実績、名誉等何の役にも立たない。自分は今まで何をやってきたのかと思う。

と同時に今トレンドの売れている人や物が未来を開くとは到底思えない。すぐに消費され消えていく。時代はますます細分化、画一化され人間が人間らしさを失っていっている。

いわゆるカオス状態である。

過去が良かったわけでもないから思い出に浸っても意味がない。

悲観論でもいたずらに危機を煽るつもりもないが未来に向かうには本当の事を知る事だ。まっとうにやる事、本質的である事はこんな時代だから一番必要な事なのではないだろうか?その時色褪せた過去の歴史が輝くかも知れない。もう待ったなしの正念場に来ていると思う。世の中も人も自分も。


10年ぶりの初ソロCD

素晴らしいベーシスト是安則克さんが亡くなった2011年に是安さん小泉さんと制作、リリースしたピアノトリオCD舞-Dancingからはや10年、自分としては思いがけなくソロピアノのCDをリリースすることになった。
当初声をかけくれたレコード会社の社長で、ピアニストの荒武さんがソロのCDを作るのでお願いしたい、他にもSさんやOさんと2,3人声をかけているところだとの事。それを聞いた私はてっきり一人2,3曲づつ入れたコンピレーション的なものだと思い、じゃあ2,3曲考えてみますと言ってお引き受けした。さて当日になり、関根さん何かタイトルとか考えてますかと聞かれたので、いや別にと答えたものの私個人ので無いからタイトルはお任せだよなと思っていたが、よくよく聞いたところ今回のは私個人のソロピアノCDとの事で愕然!
先程名前が上がった人はソロピアノシリーズとして次々にリリースする予定で今回私がトップバッターだったのだ(汗)
予備で何曲か持ってきたものの曲数が全然足りないと思いその場で考え始めた。
私はジャズは基本バンドの音楽だと思ってやって来たのでほとんどソロはやっていない。またエネルギッシュにエキサイトするにはベースやドラムスとの化学反応がいると思っている。ソロでそれをやれるのは限られた相当な技量がある人でないと難しいので自分には無理と思ってきた。それでもこの10年20年ライブシーンの厳しい状況の中、予算を削るためにソロにしているお店が増えてきて、以前よりはソロと歌のDuoと言った仕事をする様にはなった。
そんな自分でもいつか全編ソロのアルバムを作りたいと思っていたので本当にありがたいチャンスだった。そんなチャンスは突然やってくるものなのかと若干慌てながらも普段通りの事をやった。
ピアノの3,4メーター先に座って録っているエンジニアさんに向かってソロライブを2時間弱やり、12曲録音、予定時間オーバーの為1曲割愛で全11曲のCDが完成した。