フットプリンツ15

斎藤先生に出会ったおかげで心身共に健康を取り戻した私は音楽だけの生活やそれまでやってきた自分の音楽が本当につまらなくなってしまった。いだき講座を受講して心身の変化と共に自分の枠というか殻から脱皮したいという要求が湧いてきたためだ。そこで始めた事が昼間の営業の仕事だ。あまりあてにならない韓国製品を問屋やホームセンターに営業する仕事である。そして夜は夜でピアノの仕事という二本立てだ。今でこそライブで食えないミュージシャンが昼バイトするのは当たり前の時代だが、当時はどこもギャラが出ていたので、お金を稼ぐだけならピアノの仕事をとってくればいいわけだが、私は違う事を考えていた。バンド業界の偏った狭い世界が本当にくだらなくてうんざり…。何でも良いから今まで経験した事の無い世界に身を置いて、実績も名前も何も無いところから自分の可能性を試してみたかったのだ。まわりの人には全く理解されていなかったと思う。営業といっても世間的にはバッタ屋相手の商売だし、直接言われたことは一度もなかったが、関根は何か宗教的なものにはまってるとうわさされていたらしい。大体からして音楽自体がある意味強烈な宗教である。マイルスやコルトレーン、パーカー等々皆強烈な個性とカリスマ性を持っている。同じように本田宗一郎や松下幸之助といった偉大な経営者達もそうだし、いわゆる宗教の指導者達、政治家等もそうだ。皆魅力あるパワー溢れる人達なのだ。人がやっかいなのは、何かを信じて一途に追求し素晴らしい成果を上げる反面、信じ込むことによって他を排除しようとする心がはたらいてしまう事だ。ミュージシャン等その傾向が強いから、考えが狭くなりがちだったり、感じ方が違う人を攻撃したり、そうしないまでも自分のことばっかりで人に無関心だったりする。話は飛ぶが今もやむ事がない中東の戦火も元は宗教的な対立である。元来平和を訴えているはずの宗教がなぜ。。子供でもおかしいと思う事をいい大人が延々とやめない。まあそう言う自分も頑固なミュージシャン気質を持つ一人なわけで、そんな自分から抜け出したくなったわけだ。外野でわあわあ騒いでいるやつはいつもいるもので、中でやっている人の気持ちはわかりっこないから言わせておけばいいのだが、1987年頃の私はそんな挑戦を始めていた。その後のことは「いだきとの出会い」で触れているので書かないが、いろいろな貴重な経験をさせて頂いた。そんな経験の全てが現在の私の糧になっていることはいうまでもない。