フットプリンツ9
新宿ピットインに出だした1975年の暮れも迫った頃、ベースの水橋孝さんの所属している事務所から連絡が来て水橋さんのバンドをやらないかとのこと。二つ返事で引き受けたら大晦日に新宿歌舞伎町のミラノ座という映画館で年越しジャズイベントがあるから来いとのこと。当日行ってみると控え室等は特になく、廊下にジョージ川口さんや松本英彦さん、菅野邦彦さん等日本ジャズ界の蒼々たるメンバーが出番を待っている。緊張してろくに挨拶もできなかった。ジョージ川口さんのバンドはテイクファイヴを演奏していた。私は水橋さんや後藤芳子さんと演奏したものの、緊張したことだけ覚えていて何をやったかは覚えていない。その後水橋(GON) さんのバンドで九州、四国、中国、富山等いろいろとツアーに出た。また、城島ジャズフェス、琵琶湖ジャズフェス、日比谷野外音楽堂のサマージャズ等のイベントにも出演した。その水橋さんとは最近また再会して良く一緒に演奏しているが、スタンダードジャズ、いわゆる歌ものの心を本当に良くわかっている人だと思う。コードのルートから完全に独立した良く歌う8分音符とおしゃれなベースライン、3連多用のテンション感等魅力がいっぱい。自分が始めた頃以上に情報らしい情報も無い時代によくあそこまでで吸収し、自分のスタイルにできたなと脱帽するばかりだ。その頃の私といえば九州のツアーでなかなか思うように演奏することができず、夜中の佐世保の街を走り回ったりしたものだった。(笑)歌の伴奏もうまくいかず、また好きにもなれずストレスを溜めるようになっていった。当時の私はテンション溢れる攻撃的でストイックなジャズにはまっていた。マイルスデイビスの黄金のクインテットと言われた60年代のバンド、ほぼ同時進行のハービーハンコックのバンド、ウエインショーターのブルーノート時代のバンド、チックコリアの60年代のバンド等だ。10代の頃アニタオデイを良く聴いた時もあったが、後にディオンヌワーウィックの歌うバカラックものやジョアンジルベルトやエリゼッチカルドーソ、エリスレジーナといったブラジル音楽と出会うまではほとんどヴォーカルものを聴かなかった。今思うに、歌ほどストレートな表現はないし、良い歌の人と一緒に演奏することは本当に楽しいことだ。当時はそれがあまりよくわからなかった。