『かくて日本は逝く』大竹慎一(フォレスト出版)

三井銀行金融経済研究所から野村證券等を経て、現在ニューヨークで活躍するトップファンドマネージャーの著作。経済に疎い私でもよくわかる明快な語り口、といっても解説本ではない。まっとうに戦う人のメッセージといったところか。ジパン戦記というシリーズの中の一冊なのだが、このジパン戦記というのは従来の官僚主導型の日本の経済システムと自由市場経済システムの相違点と対立点を明確なものにし、まもなく訪れる未来を予測し、あるべき日本の姿を求めるものと巻末にある。2000年下期日本は大恐慌になるという予測ははずれているが、日本の危機に警鐘を発するという意味では理解できる。このシリーズでおもしろいのは、源氏と平家というカテゴリーで現状を表現することだ。ここでいう源氏とは弥生時代以来の農耕村落をを基盤とした「村」の論理に立脚して、日本社会のシステムを作り上げようとするグループで、平家とは貿易や金融取引を通じて国際社会と繋がっている「町」の論理によって、日本のシステムを築くべきだとするグループである。この観点に立って日本史を見ると日本は「おおむね源氏」の支配下にあり、「時々平家」が顔を出したという。それと同時に日本史の転換点には必ず平家的勢力が登場して、時代の転換に決定的な役割を果たしてきた。古代国家から中世武家社会の基礎を築いた平清盛に始まって、近世への転換期には織田信長が登場。また明治維新には尊皇攘夷派が活躍した。旧来の社会システムが行き詰まり、大転換が必要とされる時には、必ず平家的勢力が必要とされる。今こそ現代の平家が立つべき時という。社会が単純に二元論で割り切れないことや、源氏的な村社会が全て悪いわけではないことは、作者もわかっているが、現在の社会システムがにっちもさっちもいかなくなっている大きな原因の一つが旧態然とした官僚主導型の村社会にあることはまちがいないだろう。こういう村の中では、建設業界であれば、製品の質や価格で受注を決めるということは無く、接待をどれだけしたか、政治資金をどれだけ出したかに始まり、頭の下げ方、口のきき方、通いつめた回数、置いてきた名刺の数、最後には賄賂の金額によって受注が決まる。これが建設業界に限らず、日本の至る所に見られる源氏型経済システムである。驚くことに学問や科学、文化芸術の分野でも見られることだ。内容ではなくしがらみで決まる。まっとうに勝負しない社会。閉鎖された村の集まりだからできることだ。だが、今このシステムが崩壊し日本が危機的な状況にあると訴える。日本の官僚、大企業や銀行がどれだけ我々を食い物にして平然としているか正しく知る事は大切だと思う。そしてこれからどう生きるべきか、考えさせられる一冊でした。