断片的な独白(2)
言葉で表現すること。通じているようで通じてない怖さ。少なくても日本人が日本語どうしだったら、意味がわからないとか聞き逃したりした場合以外は、通じているとの了解のもとに会話なりが進んでいくのが一般的なことだと思います。だけれど例えば同じ「好き」とか「良い」という表現にしても、更にどう好きか、どこが好きか良いかと突っ込んで説明してみても、説明は説明、人の感じていることは皆違う。同じ言葉でもその人それぞれの生まれ、育ち、環境によって皆違うわけだ。
所詮言葉で通じ合う等というのは無理というか、とても信用できないということで、音楽に行ったようなところがあります。ところが音楽の世界に入ってみたら音楽の文法のような世界があって、楽しいのはこんな言い回し、悲しいのはこうという決まり文句的な世界があって、感激したり、涙したりするのもどっか作られた世界に踊らされているだけじゃないかと考えるようになった。感動すらコントロールされている…。
ジャズという音楽も形式や決め事が多いクラシック音楽に対して、即興で自由にやれる音楽というのが魅力だったはずだけれど、これはこれで決め事だらけというか、狭い世界のある感覚しか受け入れないような気難しいところがあり、自分もそこにハマッテると思った。批判や否定的なところから生まれた音楽に批判や否定的な人間が一人ハマッタだけのことだったのだ。ただ、不思議といつも考えさせられたことは、自分が行くところ行くところジャズに出会うのである。気がつきはじめるとおもしろいようにいつもジャズと会うので、しまいには笑ってしまった。ああこれはもう、自分のこだわりであり、要するに業なんだと…。自分から逃げたい、否定したければするほど追っかけてくる。そう考えて見ると、好きなのに正直じゃなかったり、やりたいのにあきらめたり、いろいろやり残している事あるなーと考えるようになったのです。やはり自分はどっか素直じゃなく、いいかっこしたかったのかと…。
ただ好きなことをやるといっても、ものをやり続けるということにはいろいろなことがあるんですよねー。何か一つやりきれば次の展開も見えてくるというもの。そんなで今は音楽を思いっきりやってみようとしているわけです。
言葉のことでいいたいことがあったんだけれども、ジャズと今後の。話になってしまいました。今度書きます。